卒業にあたって
先日、一橋大学での卒業式が(規模を縮小して)挙行され、学士として卒業しました。
4月1日からは社会人として、頑張っていく所存です。
新型コロナウイルスを筆頭に、今後の社会がどうなっていくかは想像つかない部分も大きくありますが、
いずれにせよ自分にできることを精一杯やっていきます。
さて、大学ではだいたい50個以上の授業を履修し、ゼミで議論を重ね、卒業論文を書き上げ、という形で勉強してきたわけですが、振り返ると多くの学びがあったなぁと感じます。
授業と一口に言っても、様々なスタイルがあるわけです。
教授が延々と話すスタイル、学生同士で議論する時間を設けるスタイル、発表を求められる授業、…
どの授業からも、得られるものはありました。
変な話、延々と話すスタイルでは「こういう話し方をすると長時間聞いてもらうのは難しいんだな」というようなことも学びました。
他の学生と議論する授業では、同世代がここまで鋭い意見を持っているのか・深い知識を持っているのか、ということに刺激を受けました。
ゼミではそれがもっと顕著で、同世代と意見をぶつけ合う場はとても刺激的で、学ぶ意欲をかき立てられました。
学びの集大成としての卒業論文を書き上げるのは、ほぼ1年がかりでした。
テーマ設定の段階から教授や先輩、同期に意見をもらい、論文の構成や情報の過不足について磨き上げるのを手伝ってもらいました。
最終的に納得がいく論文に仕上がったのも、同期に対する競争心を持ち続けられたからだと思っています。
「大学に行っても遊ぶだけ」という人種がいるのは知っています。
サークルやバイトなど、学業以外にも大学生の力を注ぐ先はあります。自分自身、かなり遊んできた4年間でした。
しかし、それと並行して勉強を自分なりにであれ継続し、最終的に論文という形に仕上げることができたことにはかなり満足しています。
4年間を通じて、「知的体力」が相当鍛えられたと感じています。
これは僕の勝手な言葉のチョイスですが、
難解な文章を読みこなす力、自分なりに解釈を加える力、議論の場で知識を組み合わせてアウトプットする力、論理的な文章を構成する力、などを総称しています。
他にも、課題を発見する力、必要な情報を発見する力、粘り強く取り組む力、のような、学び続ける上での習慣も獲得したと考えています。
勉強するのにもそれなりの体力が必要です。が、人生をより豊かにする上では勉強し続けることは非常に簡単かつ重要な方法だと思っています。
学び続ける習慣と体力を獲得できたことそのものが、大学生活における大きな財産です。周囲の方々に感謝しなくてはなりません。
今後、社会人になった以上、少しでもお返しできるように努力を続けようと思います。